日本の研究力再建について
いま起こっていること
近年、日本の研究力を示す様々な指標が悪化の一途を辿っており問題視されています。具体的には国際的な学術論文における「トップ論文」(他の論文に引用された回数が上位X%以内の論文)が減少しているという指標によって表現されています。幼少期に「日本は科学技術大国」であると聞かされて育ち、かつて科学者を志し今もアカデミアの端くれに身を置く立場としては隔世の感があります。かつ国によるアウトリーチ活動に目を向けても、施策が明後日の方向に向かっていると感じる事もあります。アカデミアの世界は外部から状況が見えにくい点も問題なのですが、だからといってアカデミアから縁遠い人々による的外れなイメージ形成が行われているようでは話になりません。
1995年に「科学技術基本法」が制定され科学技術振興に関する予算確保が政府に義務付けられました。基本法に基づいて策定される「科学技術基本計画」の第二期(2001-2005年度)では重点投資分野に生命科学・情報通信等の特定4分野が指定され、現在の「選択と集中」路線の始まりであるとも認識されています。この本来は基本計画の増加分を該当4分野に重点配分するという計画でしたが、そもそも予定どおりの予算増額は実現されませんでした。同時に2004年度に国立大学法人化するに至り国立大学においても「経営の合理化・透明化」「競争原理の導入」が必要であるとして、大学運営の基本資金としての運営費交付金は減額し、一方で、競争的研究費の増額によって全体の研究費は拡大を目指したという経緯があります。
文部科学省・財務省の「選択と集中」政策によって国立大学の研究費運営が「長期&分散」から「短期&集中」という予算投下へシフトし、運営交付金のような安定財源も縮小された結果、ポジションの不足・若手の非正規雇用の常態化・アカデミア離れ・研究人材の新陳代謝の停滞が生じ、Ph.D取得者自体も減少傾向となった事についての批判は、SNSを中心に良く見られます。しかし定量的に見れば、日本の研究開発費は世界第3位であり、必ずしも規模が小さい点が問題の根源ではありません。むしろ運用面に問題がある可能性について考える必要があるでしょう。
すでに政府が取り組んでいること
本来は自律的・自主的な大学運営と研究力の向上を目標としたこの20年の試みでしたが、実際には研究力の国際競争力低下が生じ、競争的資金の比率上昇によって大学運営における国の指導が強化された結果については素直に認める必要があるでしょう。とはいえ、他国の科学技術政策では「選択と集中」によって好結果を得られているケースも有りますので「選択と集中」の方針そのものが悪とも言い切れません。日本がこのような現状に陥った理由を考察し、適切な改善策を提示する必要があります。
なお、2016年度から、運営費交付金の一部を大学改革の達成度合いに応じて傾斜配分する仕組みを導入し「10兆円ファンド」のように公的資金を運用して「国際卓越研究大学」として認定された機関に配分する制度を設置するなど、「大学改革」と研究費交付を紐づけた施策を行っていますが、これは予算施策による政策誘導であり自主的な大学運営を妨げているとの批判もあります。
めざすべき未来の姿
国の研究力を高めるにあたっては人材の数を増やす事がまず重要です。実際にPh.D.人材が不足しており、人材を確保しないと競争力が生まれない状況にある一方で、研究ポストは不足しているにもかかわらず大学にポストを増加させる資金源が存在しないという現状があり、これらをバランスさせる施策が必要となります。人材不足に対しては研究活動に触れるハードルを緩和し、研究活動自体が敷居の高いものではなく社会を向上し得る魅力的な分野であると周知されることも必要でしょう。そのためには研究者自身が、社会実装やアウトリーチに積極的になり、そうした取組に対する成果報酬を受け取れる環境を構築することが必要です。
また、日本における「選択と集中」によって、上位の大学や研究機関のみに資金が集中しながらも資金投下に比して人材・研究力不足の為に生産性を上げきれず、また資金が不足する組織は研究活動自体が困難になるという状況が生じました。小集団に対する助成金の規模が一定の規模を超えると投資に対する研究成果のリターンが停滞もしくは減少するという実証研究(Aagaard, K., Kladakis, A. & Nielsen, M. W. Concentration or dispersal of research funding? Quant. Sci. Stud. 1, 117–149 (2020).)は、この現状を裏付ける結果を表現していると言えるでしょう。一方で、欧州や韓国においても研究活動助成金の「選択と集中」は行われていながらも(参考:日本経済新聞 欧州に学ぶ革新力 大学自ら「選択と集中)論文数は増加しており、一定の成果を上げています。この差異が生じた原因の1つに分配システムの問題が挙げられます。日本においては分配先の組織規模が小さく有効性が小さかったのに対し、欧州例えばドイツにおいては国が重点的な目標を掲げ、大学ごとに集中的に研究する分野を決めたうえで大規模な枠で予算を分配した点が大きく結果を分けたと言えるでしょう。
さらには、ほとんどの研究の現場において研究職の業務に「学生教育」「大学運営業務」「外部資金獲得業務」が組み込まれており、実際の研究活動に配分できる時間が圧迫されている点も、研究力の低下に拍車をかけています。
2050年のあるべき姿(定量目標&定性目標)
- 研究人材・スタッフ・教室規模の拡充
- テニュアトラック教員の50%増加
- Ph.D.取得者の50%増加
- 研究費の適正配分、予算管理DX、予算運用の柔軟化
- 国や大学単位での「分野規定」のような大枠での「選択と集中」に置き換え、最終的に幅広く資金が配分されるようにする
- 事務に関して構成要件・手続の標準化を行う
- 予算運用の柔軟化を行い、研究機関側での自律的な研究活動も促進させる
- 大学の業務体質改善
- 研究業務・教育業務・事務の切り分けを行う
未来のために何をすべきか
政策案① | 研究人材を拡充するために、テニュアトラック教員とPh.D.取得者を増加させる |
修士課程の一部無償化を行います(MBA,MPH等の専門職学位を除く課程)。無償化の対象は「国際卓越研究大学」の国・大学で策定した「集中的研究分野」を満たした課程に入る学生を考えます。この場合、ある程度広い範囲をターゲットとした奨学金制度のような形を取るのが自然であり、一定以上の成績を満たした学生に対して家族収入によって傾斜配分する制度とします。博士課程については米国博士課程におけるStipendと呼ばれる給与($25,000-40,000/年)を実例として、生活に十分な水準の給与を捻出できる仕組みを整備します。これらの財源については、最初期のみ国費100%とするが、例えば関連分野の企業への人材供給を前提に民間資金を流入させる仕組みを作って、最終的には50%程度の国の関与とします。
また研究者自身の社会実装・アウトリーチ活動の意識を改善するために、兼業規定を緩和することでアカデミアスタートアップの増加と社会実装の加速に繋げます。具体的には、大学交付金配分を決める際の考慮項目の1つにするほか、大学の法人税一部免除などの課税特別措置を行う施策が考えられます。アカデミアスタートアップが増加すると自然と経済活動を通じて「マトモな」研究活動が世に認知される状況が形成されるのではないでしょうか。
政策案② | 研究費の適正配分、予算管理DX、予算運用の柔軟化を行う |
10兆円ファンドの枠組みを活かし、「国際卓越研究大学」の認定・配分要件に領域指定を設けます。「国際卓越研究大学」の下位領域を指定し、地方大学への配分形式も考慮する必要があるでしょうし、研究費の財政運用許可(事業等への運用も)によって収入の柔軟な受入れ・運用を可能とする必要もあります。例えば、現在の科研費は「基金」と「補助金」に区分が分かれていますが「基金」は年度末に未使用額が生じた場合は繰越可能、「補助金」は繰越不可で返還が要求される、という違いがあります。「補助金」を使用するにあたっては多少なりとも予算の食いつぶし行為が発生しますので、貴重な公的研究資金を十分に利活用できる形には必ずしもならない場合が生じます。これを避けるために、全ての研究費を基金化するような施策も検討できると思います。また、安定的ポジションを再設定する目的で運営費交付金が拡充されれば、研究者の研究への専念と予算運用の柔軟性の確保の両面に資すると考えられます。必要な文房具や通信機器を購入するにあたっても科研費は要件的に充当に用いる事ができず、運営費か寄付金でしか購入できないという現状があります。
また研究者を研究に専念させる為の事務負担軽減施策も喫緊の課題です。研究費申請時の書類作成負担軽減(文部科学省科研費システム・e-RAD等のシステム改善)と、大学等研究機関側のDX促進の両面からアプローチが必要です。研究費の構成要件を洗い出し、管轄省庁横断的にフォーマットの統一を図れば、研究者・事務担当両者の負担が軽減されます。
政策案③ | 大学の業務体質改善として、研究業務・教育業務・事務の切り分けを行う |
「国際卓越研究大学」の認定要件として上記の切り分けの達成状況を組み込み、効率の良い研究活動と10兆円ファンドからの予算取得をセットとする事で、積極的な業務体質改善へのモチベーションを生むことが期待されます。1971年にまとめられた「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」、いわゆる「四六答申」においても、「教育機関の目的・性格でも、またその内部組織でも、教育と研究に関する要請に応じた適当な役割の分担と機能の分化が必要」と記載されています。旧来から高等教育の大衆化と学術研究の高度化の矛盾に対応するためには業務の切り分けが必要であると指摘されてきたものの、いまだ構造の改革には至っていない現状は改善されるべきです。