産業活性化の環
(2024年12月)

ヘルスケア領域における規制緩和・民間の対応

いま起こっていること

 少子高齢化の進行により1人当たり医療費の高い高齢者が増加するにつれ、国民医療費は年々増加の一途を辿っており、「国民皆保険」「フリーアクセス」等の特徴を持つ日本の公的医療保険制度の持続可能性が懸念されています。政府は現在の医療の質を落とすことなく医療費を削減できるよう、医療提供体制の見直し、診療・介護報酬・薬価の継続的な改定、地域での病床再編や医療機関相互の連携他、様々な観点から多岐に渡る政策をこれまで実行してきました。

 しかしながら公的医療制度を維持するうえで財政状況は依然として深刻で、残念ながら課題解決の絵を描くまでには至っていない状況です。これまで公的制度に基づく医療提供の量や質に対する抜本的な見直しも求められてきた中、国民においても現在の制度維持の困難さに対する課題意識の高まりを通じて多少の個人負担増に関して受容するような風潮は生まれてきた一方で、診療・治療の機会や選択肢の減少、フリーアクセスの制限が生じるような状況を伴う制度変更に関しては心理的抵抗が依然存在することが報告されています(出所:株式会社野村総合研究所, 「生活者アンケートから見た日本の医療の課題と解決方向性の考察」, 2023年1月)。

 すなわち、現状の医療保険制度を維持するためには抜本的な対策が必要であることに対する課題認識は共通でありながらも、国民皆保険制度の下で長年に渡って受けてきた恩恵の見直しに対する抵抗は大きい状況です。医療費削減が喫緊の課題である中、医療アクセス・質を一定程度維持するためには、公的保険外での民間の技術・サービスを基軸とした選択肢も必要と考えられます。

すでに政府が取り組んでいること

 公的保険外サービスについては、2016年の「日本再興戦略」を皮切りに今後の保険医療制度を支える仕組みとして注目され、以降は健康・医療戦略での各年方針の中で主要な施策として位置付けられています。

 具体的には各省横断の政策の下で具体的なユースケース仮説や成功事例を示して新規事業者の市場参入・産業化を促すとともに、課題解決と更なる参入促進を企図し、ヘルスケア領域での製品・サービスの様々な研究開発環境の整備や助成金等の資金援助、事業化促進のための人的育成や伴走支援プログラムの実施・専門家による助言を受けられる体制の整備、その他、資金調達環境改善の施策等を実施しています。(公的保険外サービス支援となる施策の一例として、予防・健康づくりの社会実装に向けた研究開発基盤整備事業では1件当たり上限20,000千円(年間))

 ただ、このように省庁横断的に様々な政策や支援が実施された結果として従来の製薬企業や医療機器メーカーといった業界に精通したプレーヤーだけではなく、様々な業界の企業やスタートアップの参入が促進され事業化に繋がった事例も見られますが、一方で、これまでの公的保険制度下で整備されたレガシーシステムの存在、有効性・安全性の確立といった医療や医療制度自体に特有の性質や規律を理由として、近年拡充された多岐に渡る政策・支援を以てしても新規プレーヤーの市場参入・事業化が本質的に成功しにくい状況は残ります。

めざすべき未来の姿

 新たな企業・アカデミアの市場参入や事業創出を促す上で、事業アイデアが本来の目的において新たな価値を生み出しているのかという観点でクイックな検証を行い、事業化の達成を支援する環境が整備されている姿が望ましいです。定量的には、政府方針は2050年まで公的保険外での製品やサービスで累計77兆円の市場を目指していますので、これを達成するための水準として毎年100件程度の新製品・サービスが誕生し、20件程度の上場やM&Aがなされている状況が実現すれば、健全な市場が形成されていると言えると思います。

 参考になる海外の事例として、インドのNarayana Hospitalでは、自施設内にスタートアップ支援ユニットを設置し、院内の臨床医や院外の医師・企業等、医療に関する課題解決を志す人であれば領域を限定せず誰でもこの支援の利用を申請可能な環境を有しています。この施設の強みは「ワンストップショップ」で、研究開発フェーズにおける臨床実現性を高める上でNarayana HPを臨床フィールドとしてPoCに用いることも可能であり、且つ臨床医がメンターとなり伴走支援も行っています。その他、特許等の知的財産面での助言やレギュラトリーサポート(規制関連助言)、上市に向けた製薬企業とのマッチング等、一貫した支援ができるエコシステムを形成しています。また、資金が必要な企業に対しては政府からの助成金を原資としてミニマム50lakhs (約80,000USD) から資金提供が可能であり、且つ複数のVCとネットワークを持っている等、柔軟な資金援助が可能な体制も整えています。

 病院内にインキュベーション施設を持つことの強みは、臨床フィールドが研究開発現場の傍にあってグループ施設での実証研究がすぐに可能なため、KOLとなる臨床医の助言もすぐに求めることが可能である点で、このことが研究開発の成功率を高めることに繋がると考えられています。インドの他にはイスラエルのIchilov Hospitalもスタートアップ育成を目的に、同様の環境を提供しています。

未来のために何をすべきか

政策案 ヘルスケア領域の事業開発を促進し、早期の仮説検証・社会実装を実現する環境の整備

 現在、ヘルスケア領域でも様々な事業アイデアが新たに創出されています。社会実装に資する技術・サービスであるかどうかの検証においては、現場の安全性や有効性(有用性)の仮説検証が必須となりますが、ヘルスケア領域の持つ性質上、検証に協力する医療機関の確保が困難でもあり、事業開発の早期段階にスピード感を持った検証を実施することが困難な点が課題と言えます。そこで、検証環境の更なる整備に向けて、インドのNarayamaHospitalの例も参照して、以下のような施設整備や助成金を整備すべきと考えます。

<施設整備>

  • 施設要件:病院や医療研究機関の付属施設であること、臨床フィールドを提供すること
  • 人的要件:臨床医等の医師や企業等、医療課題解決を目指す人が兼業等の形で所属していること、起業メンターや知財、ビジネスリレーションの支援スタッフが常駐していること

<補助金>

  • 支給対象:上記施設に所属する者が起業した企業
  • 事業要件:公的保険外サービスに関する事業であること
  • 補助金額:下限1000万円・上限1億円、中小企業は補助率1/2・大企業は1/3

 このためにまずは各省庁で実施されている現存の枠組み・施策に掛かる情報を一元化し、機会を最大限活用してもらえる環境整備を進めることが必要です。具体的には、現在の助成金の中に実施期間が短期間(単年である等)であったり、フォローアップ支援が長期的に見ると一貫していなかったりする等の課題があるため、PoCフィールドを含む支援機関の十分な整備、及びPoC実施に係るガイドラインの策定を2030年までに行うべきです。さらには、施設整備や補助金設立、特区の確立等について政府の規制改革推進会議や厚生労働省・経済産業省が中心となって、2040年頃までの政策実装を目指してはどうかと考えます。これには、現在のヘルスケア領域の研究開発に係る各種の補助金や先端医療開発特区や総合特区のような既存の施策を必要に応じて統合していくことも必要でしょうし、こうした取組を進めるために、インドやシンガポール等の取組先進国と政府間協力覚書を締結し、ナレッジ連携や企業・投資交流の活性化を図ることも有効です。

目次

(1) 産業活性化の環

(2) 環境負荷の低い持続可能性の環

(3) デジタル国土強靭化の環

(4) 食糧の環