リカレント教育の推進
植野 剛 | |
PROFILE 京都大学医学部医学科卒。心臓血管外科医師として、倉敷中央病院及び兵庫県立尼崎総合医療センターで診療、学術・研究、教育に没頭。同時に、医療情報面や臨床運用面における改善活動を通じ、医療の安全・質の向上、臨床業務の効率化、病院の収益率向上にも寄与。そのような中、臨床現場における数々の非効率性や医療制度上の問題等への課題感が増大。それら課題に対処すべく、①ヘルステック企業で医療機器・DX を含むソリューションにより直接的に、②Policy makers lab で政策立案・発信により制度面から、③NPO CALS Japan Working Group 代表として心臓血管外科術後患者に特化した心肺蘇生プロトコール(CALS)の日本への導入・普及により、日本の医療の安全・質・効率・持続可能性の更なる向上を通じ、医師の本分である「公衆衛生の向上及び増進への寄与」「国民の健康な生活の確保」に取り組んでいる。 |
いま起こっていること
「リカレント教育」とは、学校教育からいったん離れた後もそれぞれのタイミングで学び直し、仕事で求められる能力を磨き続けていくことを指します。スウェーデンの文部大臣で後に首相となったオロフ・パルメによって1969年のヨーロッパ文部大臣会議で提唱され、翌年には経済協力開発機構(OECD)が推進することを決定しています。よく混同されがちな言葉として「生涯学習」や「リスキリング」等がありますが、リクルート進学総研の解説に分かりやすい図がありましたので引用します。
【出典】リクルート進学総研「リカレント教育と日本の大学[15]/リカレント教育とは何か?リスキリング、生涯学習との違いは?」
日本においても、人生100年時代の到来、雇用のあり方の変化、急速な技術革新等を背景に「リカレント教育」が注目されるようになりました。「リカレント教育」という言葉は前述のヨーロッパでの提唱後すぐに日本でも政策用語として使用されましたが、当時具体的な施策として展開されたのは「生涯教育」や「職業能力開発」であり、真の意味での「リカレント教育」は定着しませんでした。その後、2000年代中盤以降、国の政策において社会人の仕事のための学び、特に高等教育機関が実施するものについては「社会人の学び直し」と呼ばれるようになりました。2007~2010年度の文部科学省「社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム」や2014~2016年度の同省「高度人材養成のための社会人学び直し大学院プログラム」等が代表的です。この「社会人の学び直し」が、2017年の人生100年時代構想会議をきっかけに「リカレント教育」と呼ばれるようになり「経済財政運営と改革の基本方針」(いわゆる「骨太の方針」)における重点施策の一つとなっていきました。
ところが日本におけるリカレント教育は、まだ意識的にも制度的にも十分に進んでいません。パーソル総合研究所の「グローバル就業実態・成長意識調査」においても、勤務先以外で自分の成長を目的に行っている学習・自己啓発について、日本は他国と比較し、「何も行っていない」割合が突出して高いという結果でした。
【社外の学習・自己啓発の活動状況】
【出典】株式会社パーソル総合研究所「グローバル就業実態・成長意識調査(2022年)」
果たしてこれは日本の社会人の学習意欲の不足によるものでしょうか。決してそうとは言い切れません。例えば、長谷川ら(2021)の研究によれば、「何かを学びたい」という「基盤的学習意欲」は、年代による細かな差異はあるものの、80.7%~88.5%と大変高いという結果でした。このことからは、社会人の中には「学びたい」「リカレント教育を受けたい」という「意欲」はあるものの、その意欲を実現させる段階(企業側の推進体制や教育機関側における受け入れ体制)に応じた環境整備が不十分である、という可能性が考えられます。実際に企業の中には「本業に支障をきたすため」として社員に高等教育機関で学ぶことを認めていない企業もあります。また大学側が提供する教育も、主に高校卒業後の入学を想定した4年制学士課程や修士・博士課程等がメインであり、社会人に対してリカレント教育を提供することへの関心が十分でないという実態もあります。こうした背景により、社会人はリカレント教育に対して「費用がかかる」、「短期間で学べる教育プログラムが少ない」という悩みを抱えているようです(出所:文部科学省 平成29年中央教育審議会大学分科会将来構想部会「今後の高等教育の将来像の提示に向けた論点整理」)。
これらの状況を反映するように、日本のリカレント教育は、OECD 諸国と比較しても教育機会へのアクセス性(柔軟性)が低く、労働市場のニーズに合致していない傾向や、賃金と教育の関係性等の教育効果も低いことが見て取れます。
【出典】内閣府「リカレント教育の現状」
日本においてもリカレント教育の必要性が高まっており、教育の受け手としての社会人側の意欲も一定程度認められるにもかかわらず、企業側が社員・職員を送り出す体制が不十分であったり、教育機関側の受入れ体制も十分でなかったり等といった要因が、普及の障壁となっている可能性があります。
すでに政府が取り組んでいること
政府としても「骨太の方針」に毎年リカレント教育を盛り込む等、リカレント教育の必要性・重要性については当然認識しています。具体的には厚生労働省(職場における学び・学び直し促進ガイドライン、労働者の主体的な学びへの支援、労働者が受講できる公的職業訓練、事業主による人材育成への支援、等)・経済産業省(巣ごもり DX ステップ講座情報ナビ、情報処理技術者試験・情報処理安全確保支援士試験、第四次産業革命スキル習得講座認定制度、等)・文部科学省(「マナパス」)等が連携し、様々な施策を打ち出しており、その教育内容としては、各種デジタルスキルや医療・介護スキル、女性復職関係等に関するものが多く存在します。また、まずは企業経営者の学び直しを後押しするため、政府が地域の産学官の枠組みで、2029年までに約5000人の能力向上に取り組む目標を骨太の方針に盛り込む予定であるとの情報もあります。
目指すべき未来の姿
教育に関する企業の取組促進が十分でない理由としては、社員・職員にリカレント教育を受けさせることがどのように・どの程度企業へのメリットとして還元され得るのかが明確でないこと、また、教育プログラムを提供する教育機関が少ない理由として、社会人向けのプログラムを開発・提供することで教育機関にとって(学費収入以外に)どのようなメリットがあるのかが明確でないことが挙げられます。企業としては、社員・職員という貴重な人的リソースを短期的に自社事業に直結しない形でリカレント教育に振り向けることは「未来への投資」ではありながら「その投資が果たして回収できるのか」という疑問を覚えることはある種当然と言えますし、教育機関としても、新たな教育プログラム開発や、夜間・休日など通常のフルタイム学生とは異なる枠での教育が必要になるなど、追加的な対応にリソースを投下するメリットがあるのかという疑問が生じることでしょう。
上記のような企業及び教育機関双方にとってのメリットを明確化することを通じ、我が国におけるリカレント教育の発展・普及を促進して、2050年には OECD によるリカレント教育の評価において、各項目が少なくとも OECD 平均スコア以上に到達していることを目指します。
未来のために何をすべきか
政策案① | 企業及び教育機関双方にとってのリカレント教育がもたらすメリットの明確化と情報提供 |
まずは、リカレント教育先進国を参考にしつつ我が国においてこれまでのリカレント教育の取り組みが企業及び教育機関にもたらしたメリットに関するベストプラクティスとその成果エビデンスを収集・構築・周知し、EBPM としての良循環を形成します。具体的には、2030年までにリカレント教育が企業・教育機関にもたらすメリットについてのデータを収集・共有する枠組みを策定します。さらに2035年までに、それらのメリットを明確化・可視化する仕組みを構築し、企業・教育機関双方がリカレント教育により前向きになるよう世論を形成します。そして2040年以降は、企業・教育機関双方のリカレント教育に関する経験値の向上を通じ、リカレント教育の更なる効率化を図ります。
政策案② | 中長期的なメリットを回収できるまでの時間的ギャップを埋める方策としての活動支援 |
上記①のようなメリットを回収できるまでに相応の時間を要する可能性があり、そこまでの時間的ギャップを埋める方策として、表彰制度等の活動支援を併用し企業・教育機関双方にとっての参加のハードルを下げます。例えば経済産業省・文部科学省の「キャリア教育アワード」の制度を参考にして、企業の部と教育機関の部を区分した上で、以下要領(一部)で「リカレント教育アワード(仮)」という表彰制度を創設することが考えられます。審査は学識経験者、経済団体関係者、教育関係者等の有識者からなる審査委員会で行われることが望ましいです。
<要領一部一案>
■企業の部 ※大企業賞と中小企業賞を設ける
◯応募資格:
複数年にわたり、所属社員・職員(非正規含む)に対してリカレント教育を推奨していること。
◯審査基準:
・裁量性…企業として推奨する教育内容のみならず、社員が自発的に希望する教育内容の受講も認めているか
・教育効果…教育課程を終えた社員の職務パフォーマンス向上が見られるか。または当該社員が退職してもその元社員と職務で連携する等により広義の意味で企業にプラスの価値をもたらしているか
■教育機関の部 ※大学賞、短期大学賞、教育サービス企業賞を設ける
◯応募資格:学士・修士・博士課程以外の社会人向け教育プログラムを提供していること
◯審査基準:
・企画性…社会人が持つ教育内容や教育期間のニーズを把握し、それに応じた教育課程を提供できているか
・裨益性…教育課程を終えた社会人の紹介等による新規入学者増加や、当該社会人の実務等での活躍による大学の知名度向上、産学交流の促進による新たな研究内容・成果の増加等が実現しているか
これらの支援を通じて、2027年までにリカレント教育先進国において、これまでに行われた活動支援策とその効果に関する情報を収集します。また2030年までに、それら収集した情報を元に、我が国において機能し得る活動支援の枠組みを構築・開始します。その後、2040年以降はリカレント教育によってもたらされるメリットそのものの企業・教育機関に対する還元が実感され始め、最終的には活動支援は不要となることを目指します。
- リカレント教育|厚生労働省
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- リカレント教育とは?意味や必要性・リスキリングとの違い | 記事・トピックス一覧 | 法人のお客さま | PERSOL(パーソル)グループ
- リカレント教育の現状
- <独自>経営者のリスキリング、令和11年までに5000人 政府が骨太方針に明記へ – 産経ニュース
- 社会人の学び直しを支える学習意欲
- 長谷川哲也ほか「社会人の学び直しを支える学習意欲 ̶地方企業を対象とした質問紙調査の結果から̶」中部教育学会紀要 第21号 2021年